作文「うちの鳥かご」
2011.03.25
コラム私のうちには大きな鳥かごがある
色んな鳥が居て、全部の鳥の名前が判らない
私はいつも食事をしながら小鳥達を観ている
食卓の大きな窓ガラスから観る鳥かごは、まるでテレビの自然番組みたいだ
お父さんは「テレビの代わりや」と言ってる
豆を食べる鳥、粟や麻の実、パン、蜜柑、林檎色んな餌を毎日あげる。
ミミズや芋虫などは、土や木から勝手に食べる。
いつも居る鳥、季節によっていなくなる鳥
今の主役はクロジ、アオジ、シロハラ、シメ、キジバト
うぐいすが鳴く頃にソウシチョウも鳴く
この鳥かごには、コンゴウインコや白頭鷲、ダチョウも入ってるがいつまでたっても窓辺にはやって来ない。
そういう鳥が観たいと言うとお父さんは
「新明解国語辞典の第4版で”動物園”を引いてみろ」
と言います。
まあ、嫌がる動物を無理矢理連れてくるのは可哀想だということでしょう。
わたしは、本当に心優しい子なので窓辺に近寄ってくれる鳥を観るだけで満足です
*どうぶつ[動物][ー園]公衆に生態を見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえてきた多くの鳥獣・魚虫等に対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。(新明解国語辞典 第4版)
省エネ電気製品(冷蔵庫の省エネ宣伝が誇大広告で一昨年から自粛)、省エネ自動車、リサイクル等。政府と企業がタイアップした啓蒙を図るとも言える人の良心につけ込んだ広告が横行している。
産業界には必要な事だが、地球の為とか未来の為等と善意につけ込む広告は許せない。今回の原発の現状もバレた所から公表して行く。真実を伝えないと正確な判断が出来ない。海外の企業は事故の発覚と同時に日本からの退去命令を密かに出している。当然、退去出来ない企業もあるが。
情報化社会に生きる我々は、嫌でも懐疑心を持って政府や企業の広告を分析しないといけない。水俣病、ヒ素ミルク、第5福竜丸、薬害エイズ、ヤコブ病、イレッサetc.忘れてはいけない!
福島はチェルノブイリよりも悪い状況になると言う見方も出来る。「注)出来る」
国土が狭い日本ではなおさら居住や農産物の影響が大きい
楽観視するより、最悪を考えて早過ぎる対処をして、何も無ければ「良かったね」と言えば良い。
数年前、台風の高波を子供と友人とで見に行った。暫く様子を観ていて絶対大丈夫な所にカメラや携帯を置いて少し近く迄行った。そこへ多分その日最大の高波が襲いかかった。逃げたが、後ろから頭上を越えて襲ってくる波で吹き飛ばされ、高台に置いてあったカメラが遥か向こうで吹き飛ばされて行った。恐がりの子供は遠くに居たので助かった。我々も吹き飛ばされただけで大した事は無かったが。
津波を見に行って呑み込まれた人を馬鹿にするだろう。
同様に原発から離れなかった人を馬鹿にする時が来るかもしれない。
現状否定的な意見を、「ネガティブな意見」やら「風評」等と言っていては第2次世界大戦を起こしてしまった体質となんら変わりない。行政府や学者、学校から流れてくる教育的意見が誠実な物という補償等どこにも無いのは、少し前の歴史をみれば直ぐにも判る。昔と今とは違う?江戸時代の人間も昔と今とは違うと言っていた。政治の体質や企業の体質は変わらない。変わるとしたら市民のレベル向上あるのみ。
悪いものは悪い、嫌なものは嫌、危ないものは危ない、出来ないと言うな、やりたく無いと本音を言え
今回主犯は「地震」
共犯で悪いもん順
1)地震学者
2)東電
3)政府
今回、落としどころは「地震学者のデータに基づいて想定した安全基準で、地震学者が想定外と言うのだから仕方が無い。自然は計り知れない」
原子力安全・保安院は原子力等のエネルギーに係る安全及び産業保安の確保を図るための機関。原発などの安全確保のために厳正な監督を行うことになっている、経産省の外局。
ここで、東電との関係が気にかかる。東電は独占企業だから、ライバル企業との競争はない。監督するのは政府=原子力安全・保安院だけで、政府さえ丸め込めば、恐いモノなしだ。実際、東電は歴代経産幹部の天下りを受け入れており、2011年1月には原子力安全・保安院の上部組織である経産省資源エネルギー庁の前長官だった石田徹氏が、退官後わずか4か月で顧問に天下っている。そうした天下りの見返りとして政府は厳しい監督をせず、安全基準も今となっては甘かったことが明らかになった。
このように、規制する側が規制される側に取り込まれて、規制が規制される側に都合よく歪曲されるメカニズムを「Regulatory Capture」(規制の虜)という。東電の虜になった政府は、国民に対して「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」の姿勢で原子力行政を行い、今回そのツケが最悪の形で回ってきたのだ。(高橋洋一氏記事抜粋)